中身は同じ
実家に帰ったのは10年ぶり、家を見て思ったのは、「私の実家、こんなに小さかったか?」。 木造住宅と言えども、時間経過で小さくなるわけがない。 小さく感じたのは、10年で庭の木々が大きく育ったから。 私、「木を切れば良いじゃない」 母親、「生きている木を切るのは可哀想でしょ」 木を切るのは可哀想という母親だが、庭に雑草は全然生えてない。 私、「雑草は生えないの?」 母親、「何を言ってるの、毎年ボーボーに生えるわよ」 私、「雑草は刈ったの?」 母親、「根本から抜いたわよ」 私、「雑草は可哀想じゃないの?」 母親、「可哀想なのは、雑草を1人で抜くなくてはならない私よ」 私、「・・・」 カレンダーは今年のものに変わってるが、他は10年前と何ら変わってない私の実家。 私、「リフォームとかはしないの?」 母親、「何も不自由はしてないから、リフォームの必要はないわ」 私、「何処も不具合は無いの?」 母親、「無いことはないけど、外壁の塗装はしようかなと思っている」 私、「また、するの?」」 母親、「また、するの?って、前回、外壁を塗装したのは10年以上も前よ」 10年前に私が家を出た時は、塗装で太陽光が反射するほど外壁がキレイだったのだが、10年経つと外壁は汚れでくすんでいる。 私、「外壁の汚れは、水を掛けたくらいではキレイにならないの?」 母親、「外壁にこびりついているから、水を掛けたくらいではキレイにならない」 私、「試したの?」 母親、「うん。水を掛けてキレイになるなら、塗装をしないで済むじゃない」 老いた母親が洗顔をする際、固形石鹸を使うのはメイクをしてないから。 私がメイク落としのクリームを使って洗顔をすると 母親、「随分、顔が変わるわね」 私、「・・・」 実家の外壁塗装は、前回とは異なる色で行った。 私、「外壁の色が違うだけで、随分、家の雰囲気が変わったね」 母親、「外見が違っても、中身は同じよ」 私、「・・・」 母親の発言は1つ1つに意味がある。 昔はそれが嫌で家を出たが、この10年色々あった私は、母親の発言が痛いくらいに分かるようになった。